久本薬医門公園

1.アクセス

  所在地 神奈川県川崎市高津区久本1丁目5
  JR武蔵溝ノ口駅及び東急溝の口駅 南口出口より徒歩5分程度(約350m)
 

2.整備された久本薬医門公園
  岡家が区画整理の為に立ち退きになった後も、 明治43年(1910年)7月9日に落成した薬医門と 太平洋戦争当時に敷地内の爆弾落下の為に火災が発生した際に近隣の方々が消火して下さった倉などが、 高津区及び地域住民の方々の御尽力により2007年3月に久本薬医門公園として 保存・整備されて、新しい歴史が始まりました。 朝は近隣の方々がラジオ体操に集う場として、 また近所の園児には門構えや倉がまるで忍者でも出てくるように思えるのか『忍者公園』という別名でも親しまれるなど、 新たな憩いの場となりました。また、季節折々の花の咲く公園として楽しまれているようです。
  
イベント
  毎年、桜の時期には枝垂桜を囲み花見イベント、 雛祭りには倉にて雛人形の展示、端午の節句には鯉のぼりと倉で兜の展示、 雛祭りと端午の節句には通常は閉じている薬医門が開門されるなど、 毎年恒例のイベントも開催されています。
   尚、イベント日時や詳細については毎年変更等の可能性もありますので、 主催者発表や広報等でご確認下さるようお願い申し上げます。


  公園内部から門に向かって右手は 松を主役に様々な木が配され、飛び石にまじり所々に石灯篭や手水鉢が配されて、 小さく可憐な草花が足元を飾る庭は岡家の当時の庭の雰囲気をよく残した庭です。
  円柱状の変わった手水鉢は、 関東大震災で倒れたどこかの神社の鳥居を利用をくり貫いたものと言われます。
  

  一方、門から左側は当時は枯山水を要した日本庭園でしたが、 石組みなど公園開設時に少し変わり、その後の時間経過とともに多少以前とは趣は変わりましたが、 梅や蝋梅、しだれ桜、ツツジなど花の季節には美しい姿が今でも見られます。 以前はふき、日本タンポポなど日本の固有種を集めた庭だったので、懐かしい草花を見つけられるかもしれません。
  


  この枝垂桜は、9世・道孝の長男・信孝(日本画家)が約30年ほど前に 福島の三春滝桜を訪れた際に、 三春の滝桜から落ちた実を育てていた地元の農家のおばさんさんに出会い、 もらった苗を今の久本薬医門公園の場所に植えたものだそうです。



  この松は、長年に渡り岡家のシンボル的な存在で、 現在の薬医門公園でもシンボルツリーでもあります。 明治40年(1907年)頃の写真にも立派な松の木の姿で写っていることから 最低でも110年以上この地にあります。 盆栽の手法を駆使して松に傷をつけて曲げて育てる手法がとられていることから、生け花や盆栽に精通していた6世・重孝の頃に 植えられて育てられたのではないかとも言われています。 岡家当時は松の下にあった庭門を通り中庭に入る配置となっていて、 松自体が中庭の門構えであるかのような趣向になっていました。今は庭門はありませんが、 松の下から眺める庭の姿は当時の趣を感じさせるものがあります。 数年前の大雪にの際には枝の一部が折れてしまいましたが、 手入れのお蔭もあり枯れることはありませんでした。



  
紅しだれ梅(藤牡丹しだれ)   白しだれ梅(青軸しだれ)

柿(禅寺丸)
  この柿の木は渋柿で、食べられませんが今での秋になると小さな実を付けるようです。


手漕ぎ井戸
  公園開園の際には危険性や管理の観点から埋める事も考慮されましたが、 子供たちの水遊びや非常時の生活用水(飲めません)など活用法もあるのではと提案し、 懐かしい手漕ぎの井戸も保存されました。 飲料水としては使えないものの、公園の水まきや子供達には珍しい手漕ぎの井戸での水遊びなど 活用されています。
  

京都の路面電車の敷石
  現在は少しわかりにくくなっていますが、これらの敷石は京都の路面電車(京都市電)の枕木(見影石)を 再利用したものです。
  




(編集2016年2月)
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