モーツァルト

2002年12月23日 (帝国劇場)

天使の旋律に秘められた、人間モーツァルトの真実。

 ミヒャエル・クンツェ(詞・脚本)とシルヴェスター・リーヴァイ(作曲)、このコンビが「エリザベート」の次にミュージカルの題材として求めたもの…それが、「モーツアルト!」です。

 オーストリア、ザルツブルクに生まれた大作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756年〜91年)。天才の名声のもとで、真の人間的自由を求めて苦悩する人間モーツァルトの姿をドラマチックにあぶりだし、ミュージカル化。

 クンツェ=リーヴァイの人々の心を魅了してやまない名曲と、歴史的人物の背後に隠された真実を描き出すスリリングなドラマは、「モーツァルト!」でさらに磨き上げられました。また、迫力あふれるロックから美しいクラシカルな曲調まで、幅広いジャンルの音楽に乗せ、緊迫したシーンを次々に現出させます。

 1999年10月、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場にて初演され、2001年5月6日まで上演されました。2001年9月21日より、ドイツ、ハンブルクのノイエフローラにて上演中です。

 今回、日本のミュージカル界を代表する豪華キャストが顔を揃えました。「エリザベート」に引き続き小池修一郎が演出を担当いたします。

ミュージカル「モーツァルト!」にはモーツァルトが二人登場します。

 時には現実の世界に翻弄され、また時には馬鹿騒ぎをしでかす、人間モーツァルト=「ヴォルフガング」。モーツァルトがかつて神童と呼ばれていた頃の、幼い姿で現れ作曲に精を出すモーツァルトの才能=「アマデ」(子役が演じます)。二人は同時に舞台上に現れます。アマデはヴォルフガング以外誰にも見えず、またアマデは一言も言葉を発しません。

 最初のうちは小さな弟の様にも思えるアマデ。ところが、ヴォルフガングが成長するにつれ、その存在が重くのしかかってきます。逃れることのできないモーツァルトの宿命が…。

も の が た り

 幼い頃「神童」と呼ばれたヴォルフガング・モーツァルトは、父、レオポルト・モーツァルトの英才教育をうけながらも、ありのままの自分の姿を受け入れず、「神童」のイメージを押し付ける父親に反発していた。また、モーツァルトと父の雇い主であるザルツブルクの領主コロレード大司教は、モーツァルトを自分の宮廷音楽家として束縛し、才能の独占を図るが、反発したモーツァルトは宮廷音楽家の職を辞めてしまう。

 ザルツブルクを飛び出し、ウィーン、パリ、ロンドンと恵まれた職場を求め旅に出るモーツァルト。故郷で姉ナンネールはモーツァルトの成功を夢見る。しかし、父レオポルトは、未熟で世間知らずなモーツァルトが心配でたまらない。

父の案じていたとおり、コロレード大司教の策略もあり、モーツァルトは新しい仕事につくことが出来ない。その上、ウェーバー一家に利用され、一文なしに。ザルツブルクから一緒だった母の死、絶望の淵に立たされるモーツァルト。

そんな中で、モーツァルトはウェーバー家の娘、コンスタンツェに惹かれ二人は愛をはぐくむ。

 モーツァルトの才能を認めるフォン・ヴァルトシュテッテン男爵夫人は、その才能を開花させるために、ウィーンでの音楽活動を勧めるのだが、コロレード大司教は、ザルツブルクに戻れとモーツァルトに命令する。対決はエスカレート、それぞれに最後通牒を投げつける。コロレード大司教とたもとを分かったモーツァルト。束縛するものから解放され、自由の身になれたように思えたのだが…。

 やがてモーツァルトは理解する、自分が自由ではないことを。神童アマデの姿でモーツァルトを追い詰めるもの…それは自分自身の才能…いままでの全ての障害よりも強固で、さらに高みを目指し進むことを要求してくる。

 アマデは次第に悪魔と化す。モーツァルトは、その悪魔に仕える運命に定められていた…。

資料室

 ミュージカル「モーツァルト!」とは 「アマデウス」のミュージカル版ではありません

 今回のミュージカルに関して「サリエリは誰が演じるの?」とよく質問されます。ピーター・シェファーの戯曲「アマデウス」は映画化もされた名作ですが、この作品は「サリエリ」が主役で「サリエリ」というタイトルでもおかしくありません。

「モーツァルト!」には、「同時代の宮廷音楽家」という程度の扱いでしかサリエリは出てきません。「モーツァルト!」は35歳という若さで夭折した天才音楽家モーツァルトの生涯ととりまく人々とを描いたミュージカルなのです。

「アマデ」と「ヴォルフガング」二人のモーツァルトとは?

第1幕第1場は1768年のウィーン。マリア・テレジアから賜った赤い上着を着た12歳の神童「アマデ」(子役が演じます)は満座の聴衆のなかで演奏を披露しています。次のシーンは9年後。「ヴォルフガング」は21歳に成長し、ザルツブルクでの生活に退屈しています。

そこに「アマデ」が登場します、12歳の姿のままで。このミュージカルのなかで、作曲するモーツァルト、つまりモーツァルトの才能の部分は「アマデ」が演じ、「ヴォルフガング」が人間的な部分…恋をしたり、父や大司教に反抗したり、お金を散財したり、カモにされたり…を演じます。つまり二人のモーツァルトが舞台上に現れます。そして「アマデ」は周囲の騒ぎに動じることなく一人作曲に専念しています。この分身を意識しているのは「ヴォルフガング」だけ。そして「アマデ」は劇中一言も発することはなく「ヴォルフガング」の死の瞬間までそばを離れずにいます。

(以下の呼称は「ヴォルフガング」と書くべきですが、煩雑なため「モーツァルト」に統一しています)

 

「モーツァルト!」にモーツァルトの曲は出てくるか

「モーツァルト!」の楽曲はすべてシルヴェスター・リーヴァイによるものです。部分的に、モーツァルトの旋律、「レクイエム」の中の「怒りの日」や「ピアノ協奏曲第25番」は使われますが、「効果音」の扱いだと考えていただいて良いでしょう。

ただし、劇中で大きく扱われている作品が二つあります。それはオペラ「魔笛」と「レクイエム」です。ともに晩年を飾る作品ですが、「魔笛」は劇場支配人であり自らも俳優であったシカネーダーが委嘱し、いままでの作品とは違い貴族や領主のためではなく、民衆のためにつくられたオペラでした。劇中「魔笛」は人々から歓喜の声で迎えられます。「レクイエム」は謎の依頼人から頼まれ、作品の完成させられず死を迎えることになってしまい、モーツァルトにとって自分自身の「鎮魂曲」となってしまった、いわくのある作品です。

「モーツァルト!」のミュージカル・ナンバーは非常に高度なテクニックを要求されるものが多く、特にモーツァルトが歌うナンバーは、広い音域を必要とします。また、オペラの「アリア」のようにソロのナンバーが多いのも今回の特徴です。

モーツァルトの謎に満ちた死

モーツァルトの葬儀は、悪天候のため埋葬まで誰も立ち会う者がいませんでした。また共同墓地に葬られたため、今日ではその遺骸の行方が知られていません。この不自然な埋葬の経緯と「レクイエム」作曲中の死であることからも、その死因にはさまざまな説が唱えられ、その数は現在150以上あると言われています。「粟粒熱」「ペスト」「水銀中毒」「加熱不足のポークカツの寄生虫」などの病死説。そして死の半年前に「誰かが毒を盛ったようだ」とモーツァルトがコンスタンツェに話したことから、毒殺説が生まれ、「アマデウス」でおなじみのサリエリ、フリーメーソンによるもの、モーツァルトの浮気相手の夫、などが「犯人」の候補として挙げられています。

「モーツァルト!」でも、モーツァルトの最期の場面を描いています。しかし、モーツァルトの「死」、「死の真相」については、ここで書き記すことはいたしません。どうか、劇場でお確かめください。

ミュージカル「モーツァルト!」はこんな構成です

現時点で決定稿は完成しておりません。よって細部の修正、順序の変更があると思われますので、ご承知おき下さい。

「エリザベート」はハプスブルク帝国の末期を飾った后妃の「大河ドラマ」であり、宮廷や皇族の世界を舞台としています。

「モーツァルト!」は、王侯貴族の物語ではありません。ほとばしる才能を持った天才(庶民の階級です)と、その周辺とを描いたドラマです。

また、頭においておかなくてはいけないことがあります。18世紀当時の音楽家は、現在とは想像もつかないほどその地位は低く、宮廷音楽家といえども単なる召使に過ぎなかったのです。そして仕える主人がいない場合、その収入は作曲とレッスンとで賄われるため、きわめて不安定なものでした。

◇神童モーツァルト

まず、この作品で登場するのは12歳の「神童」(すなわちアマデ)。姉のナンネールもかつて「神童」との誉れが高く、一緒に演奏旅行を行っていました。奇跡の子をサロンの客たちに誇らしげに紹介するレオポルト。そこに、フォン・ヴァルトシュテッテン男爵夫人が現れ、この「奇跡の子」には本物の才能が宿っていることを、「天才」であることをレオポルトに告げます。

このミュージカルで大きな意味を持つのは父親レオポルトの存在です。ミヒャエル・クンツェは、このミュージカルを最初「父親と息子」を扱ったものと構想していました。レオポルトはモーツァルトにとって父親であるのみではなく、「天才」を育て上げた音楽の師でもあります。しかしレオポルトは、宮廷音楽家として小都市ザルツブルクの権力者、大司教に仕える運命からは逃れられずにいます。

モーツァルトは成長し「神童」ではなくなります。しかし過去の栄光を捨てきれずにいるレオポルトは何かとモーツァルトに干渉します。姉ナンネールもまた、王侯貴族と同席した昔の日々を夢みています。やがて父親と息子との葛藤がクローズ・アップされてきます。そして、権力者、大司教コロレードとの関係の決裂を機に「青年モーツァルト」は父親の庇護を離れ、自立してゆくことになります。

◇大司教コロレード

モーツァルトの生誕の地ザルツブルク(映画版「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地として有名です)は、大司教領、「大司教」が領主として君臨する地域です。モーツァルトが幼少期の先代の領主は思いやりのある人物で、レオポルトがたびたび宮廷音楽家の職を休んで「神童」モーツァルトを連れての演奏旅行に出かけるのにも寛大でした。シュラッテンバッハ大司教の死後、大司教の地位を継いだのは、ヒエロニュムス・フォン・コロレード伯爵。才能の独占を図り、モーツァルト親子に対しては理解のない不愉快な領主でした。

1777年、21歳になったモーツァルトは、ザルツブルクを離れ、より才能を発揮できる地を(そして雇用者を)求めるため、コロレードに辞職願いを提出します。

辞職を認められ、母親と出かけた演奏旅行の成果は芳しくなく、パリでは母を亡くします。先行きの不安を感じたレオポルトはコロレードにモーツァルトの復職を願い、受け入れられます。

ザルツブルクに戻ったモーツァルトは、宮廷楽団に再任されるのですが1781年、コロレード大司教とウィーンで派手に口論となり、罵詈雑言を浴びせられた上で、両者の関係に終止符が打たれます。

宮廷音楽家としての安定を捨て、「自由」を手にしたモーツァルト。しかし、そこに待っていたものは…

◇コンスタンツェ

1777年の旅の途中、マンハイムでモーツァルトはウェバー一家と知り合い、長女で歌手をしていたアロイズィアに惹かれます。ウェバー家の女主人セシリア・ウェーバーはモーツァルトをカモにしようとあの手この手。やがて一家はウィーンに移りモーツァルトはこの家に下宿します。時がたちモーツァルトは三女のコンスタンツェと恋に落ちるのですが、セシリアは策略をめぐらし、契約書を作ります。それには「3年以内に結婚しなければ、年300フローリンを支払う。」と書かれていました。

モーツァルトはサインするのですが、コンスタンツェは契約書を破り捨てます。「あなたの言葉を信じています」と。

1782年、父レオポルトには事後承諾のかたちで、二人は結婚します。この日の晩餐を用意したのは、フォン・ヴァルトシュテッテン男爵夫人でした。

◇再び父と子

モーツァルトは皇帝の前で演奏をし、得意満面。しかしウィーンに赴いたレオポルトは不満顔。「父であり師である私の言うことに耳を貸さない。警告を無視して拍手におぼれ、ふんぞり返っている」と。レオポルトは「姉を裏切り、私の心をずたずたにした」と非難を続けます。モーツァルトは抗弁します。「いつまでも貴方の息子です」「どうしてありのままの僕を愛してはくれないのだろうか」。

フォン・ヴァルトシュテッテン男爵夫人は親離れし、ひとりで芸術家として立ち向かわなければならないと諭すのでした。

やがて、父親の死をナンネールが伝えに来ます。その衝撃に打ちのめされるモーツァルト。

◇「魔笛」誕生

1789年バスティーユ攻撃の知らせはウィーンにまでも知れ渡ります。時代の変化の波はウィーンにも伝わり、シカネーダーは「好機到来!」とばかり「魔笛」の作曲をモーツァルトに依頼します。やがて完成された「魔笛」は民衆のためのオペラとして絶大な支持をうけます。

「モーツァルト!、モーツァルト!」と歓喜の声が響く中、モーツァルトを不気味な影が呼び止めます。「ある高貴な方の依頼で、レクイエムを作曲していただきたい」と…

◇レクイエム

1791年12月4日。モーツァルトは死の床にいます。天才として生まれたモーツァルトは、父親や権力者からの束縛からは逃れることができたが、ほんとうの自由を得ることはできたのでしょうか…

やがて最期の時が訪れます…


 
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